な̥ん̥と̥な̥く̥

2002年生まれ

人生最後の夏休み

おそらく、もうすぐ人生最後の夏休みが終わる。もっと大人になって、意図的に夏に休みを作れたとしても人為的に作られた夏休みはもう来ない。夏は暑くてうだるばかりだから嫌いだけど、最後だよと言われると寂しくなる。

上手い言葉で最後丸めこめば、良い感じだからOKというまとめ方は嫌だ。終わり良ければ全て良しだけど、終わり良く見せれば全て良しではない。私は私なりの人生を、頑固なところは頑固なまま進みたい。付け込まれてたまるか、諦めてたまるか。

どんどん進むに連れて、妥協するポイントが現れるけど、私はやりたいことを「ちゃんと」やりたい。やりたいやりたいやりたい!でも、無理はしないでね。ちょっと無理してると思います。ひとつずつ、ゆっくり焦らずね。こんなに強くやりたいことがあるんだから、こんな素敵なことは無いですね。気が変わるかもしれないけど、とにかく今はやりたい。疲れた。やりたいと思いすぎて疲れた。何とかなるか。ずっとえらい、なんだかんだやってんだから。4年くらいずっと、1人で結構頑張ってるよ、えらいよ、大丈夫。なんとかなる。疲れた時は疲れたって言っていいし。ぐっすり眠れる日がより沢山あるといいね、おやすみなさい。

自殺準備

つい先日、自殺未遂をした。正確には自殺準備という言葉に収まると思う。もう準備をするのは辞めたので大丈夫です!自分の中の定義として自殺未遂はもっとこう衝動的に死のうとすることで、私が先日しようとしたことは衝動的な部分もあったかもしれないが、冷静でないが冷静に、死ぬ準備をした。全然死にたくないのに、死ねと言われたも同然の事を言われて、傍から見たら全くそんな言葉じゃないのは百も承知だけどそんな正論が効くことばかりで人生は動いていない。

すごく信頼している先生に、死ぬ準備を辞めてからどうにか相談をしに行った時に「そんなことで死にたくなってたらこの先やっていけないよ」と言われた。先生という立場だし、他人だから理解なんかされるわけないけど、「そんなことで死にたくなってしまいたくてなってるわけじゃねえよ、そんなことで死にたくなったりしたくないからこうして話してるんだろ」と、言い返したくなった。何を先生に言われたら自分が良かったのかは分からない。

自殺準備とは主に遺書を書くことだった。死にたいと思いたかったわけじゃないから、やりたいことも人に言いたいことも沢山あってせめてここに詰め込もうと思った。でもそんな死にたくなって、泣きじゃくり疲れた状態の人間の体力では、そんな沢山の言葉は紡げなかった。

なので、今の私は1回死んだも同然のような気持ちで生きている。これは結構いい感じ。''近頃私たちはいい感じ''って歌詞、あるじゃないですか、そんな感じです。

 

気持ちの良い朝

副反応のだるさとストレスとやることいっぱいでメンタルもボロボロでもう涙と不安が止まらなくて、朝にお母さんにスープを作ってもらったあとに椅子から立ち上がってふとベランダの方を見たら、朝日に照らされた15階からの景色があまりにも綺麗でここから飛び降りたらもしかしたら幸せになるかも、怖くないのかもと一瞬でもよぎった自分が怖かった。

死にたくなんかないのに、逃げ道が分からなくてどうしようもなくてふらっと自分が死んでしまいそうで怖い。元気になりたいのに日々は進んでくから休めない。元気になって好きなこと沢山したい、諦めたくない でもどうすればいいのか分からない。ここ1年半くらいずっとそんな感じだ

低気圧きつねうどん

大学の学食で340円の安いうどんを食べながら、湿気で気持ち悪い全身と私に恋人がいるという事実を思い浮かべながら靖子ちゃんのコーヒータイムを聴いていたら今まで感じたことのない気持ち悪さと気持ちよさがあった。ずっと変な気持ちだ

思い出の中に

教室の片隅で憂鬱そうに1人突っ伏して眠っていた。宿題を出さずに怒られてばかりでちょっと不貞腐れた顔をするけどすぐケロッと元に戻っている。ロックンロールがすき。えー!あいつのこと好きなの!?まじ!変わってる!あなたの思い出にしがみつくことしか出来ない私をどうか気持ち悪がらないで。好きとかがもうなんなのか忘れた。全員怖い、信じられない。人間のこと。持て余した処女性。子供ゆえに何もわからず上手く築けなかったもの。それでも気持ちに嘘はなかっただろうに。

ずるい

友達に、「死なないでね」と言ったら、「死なないよ〜」と返ってきた。

「**ちゃんも死なないでね」と言われて私は「どうかなぁ〜」と答えた。

本当に素直な気持ちを答えたのだけど自分のそういうところずるくて最低だ、と思った。

お笑いも音楽も現実からの逃避行。音楽が大好きなヤツなんかみんな頭がおかしい。でも私がいちばんおかしい、自分という存在が恥ずかしくて気持ち悪くて早く死んだ方がいいと思っている。1ミリも死にたくないけど。死にたい〜が食欲性欲睡眠欲と同じくらいの頻度で死にたいと言いたい欲として出てくる口癖、頭の1番手前にあるセリフはもう本当に癖でしかなくて、そこには死ぬぞ!''死''にたい!という意味を既に持っていない気がする。大丈夫、と同じくらいの 南無阿弥陀仏と同じくらいの口に出すと味噌汁飲んだ時みたいに安心させられるお守りのような言葉。極楽には行けないけど、むしろ極楽を諦めたような人が言うような言葉だ。これをメンヘラなどと言うやつは何も分かっていないし、YouTuberのぶち切り良テンポで誤魔化したような動画を観て笑える頭がバグった人達が手軽に編み出したクソ偏見でしかなく、何も的を得ていない。こんな意味が2割くらいしかなく日頃思ってる事をそのままちょろまかして書いたような駄文を書くことの意味は、生理痛と将来の不安と恐怖と孤独を打ち消して誤魔化して皮だけでも形にして投下することで、投げ捨てた気持ちになれるかもしれないからだ。

(キモイから気が向いたら消)